しっかり手をかけたものは、売れるんだよ

出版社の社長さん(60代)、尊敬する編集長(50代)と会食。


おふたりとも、体を張って時代の第一線を生きてきた方たちであり、数々の輝かしい伝説をお持ちである。
目がまっすぐで、バンカラで、キレもので、セクシーで、しかもキュート。
自分もこんなふうに年をとりたい。


ごはんをご馳走になりながらお話をする中で、おもむろに大編集長がカバンから束見本*1を取り出す。


「いま作ってる本のさ、行間とか天地の空きとかが気に入らなくて、何度もデザイナーとやりとりしてるんだけどさ、決まらないんだよなー。」


書籍の、文字と文字の間や行と行の「すきま」にこだわり、何度も試行錯誤を重ねているという。
原稿の量が決まっているので、1ページに入る文字の量が増減すれば、全体のページ数が増減し、束厚(つかあつ)が変わる。
編集長のことだから、それぞれのパターンに応じた束見本を作っているのだろう。


すると、社長さんがひとこと。


「しかしよ、こういう、しっかり手をかけた本ってのは、不思議と売れるんだよな」


「そうなんですよ」


と編集長。


「きちんと手をかけて作ったものってのは、そこに込められたものが人を寄せるんだよ」
「そうそう、本でも、雑誌でも、みんなそうですよ」


そうだよ、そんなの当たり前だよな、と思うだろうか?
どこまで本当にこだわれるのか、どこまでやり尽くすのかに「常識値」はない。
誰が見ても未完成な状態でGOサインを出すひとはいないだろうが、ある程度の形になってしまえば、いつ「これでOK」と言うかは個人の美意識とか感性の問題、ということになる。


「こんなもんだろ」と思ってGOを出すひともいる。
自分が心の底で引っかかっるものがあるならそれがクリアされるまで試行錯誤する人もいる。
…後者のことをモノづくりのプロと云うのだ。
そして、その地味で、目立たないこだわりが読者を掴む。


それは書籍の編集の話だけではない。WEBやモバイルでも同じこと。
そう思ったので、エントリーにメモ!

*1:つかみほん: 本のできあがりを確認するための、印刷がされていない製本見本